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PAERADIGM FACTER

2011-03-18
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1・暗い階段にいる。

時間が経つにつれ、扉の向こうの、人の気配が増す。。


2・なぜ、こうなったのかは分からないが、今、僕は芝居というものに携わっている。

もちろん、まったく興味がなかったわけではない。
しかし、興味の理由はわからない。
ただ、漠然と思ってしまった。

かれこれ10年になる。

思いおこすほど、たくさんの経験をした訳ではないが、思いおこす。

正確にいえば、始めようと考え、行動を起こしたのは、10年以上前。

高校の卒業式の日、僕は東京にいた。
六本木。
確か雪が降ってた。

オーディションというやつだ。
生まれて初めてのオーディション。
入団試験。

俳優座。

俳優をやろうと思うのだからこれほどまっすぐな劇団名はないだろうと、選んで上京。

今思えば、この時点で浅い。浅いやつだ。
でもはじめるきっかけなんてのは、得てしてこんなもんだ。...と思う。思いたい...。

事前に渡されていた、オーディション内容。
一次審査、エチュード、本読み。
なんだ、エチュードって。確か、そんな不安と調べようともしない余裕で会場へ。

会場には、たくさんの人。人。人。人。
軽くびびる。
受付を済ませ、待機場所へ。

びっくらこいた。

目に飛び込んできたあの映像。
今でも、忘れられない。
たくさんの人が、ブツブツと一人で喋っては、急に飛んだり、跳ねたり、大声を出したかと思えば、いきなり笑ったり。

完全にひいていた。
多分、その時の自分の状態はこれが一番適切だと思う。
決して、冷めているのではなく、その人たちの熱さに完璧に呑まれていた。

その時、思った。
いかん、俺、こげな熱い気持ち持っとらん。

なんか急になんともいえない感情。
恥ずかしくなった。

そんな、不安定な心持ちで受けた試験。見事に落ちて帰省。


正直、この時点で役者への気持ちはかなり薄れていた。




3・三年間。

ただ、何気なく暮らしていた。
でも、この三年間で沢山の人間に出会えた。
今生きるエネルギーはこの時出会った人間に貰えているといっても過言ではない。

何気なくの暮らしにふとした拍子で現れるモヤモヤ。格好つけて言うと、心のしこりが消えなかった。

再び、東京へ来た。




4・演劇ぶっく。

劇団の情報誌。
巻末あたりの募集要項で、見つけた劇団、「見学者」。
素敵な募集内容。
「くだらないことを真面目にやる」
なんか、このフレーズを見たときにすごく楽になれた。
オーディションに行ったはずが、オーディションらしいことはせず、帰りには、「どうです?でますか?」...びっくらこいた。
え?そげん簡単に出れると?

あれよあれよ気が付いたら稽古に参加。
本番に参加。

 「別の岬」
作・黒沼健一郎
演出・倉光仁美
中野テレプシコールにて。
ここで、十枝大介と出会う。共演者だった。
なんか、この頃から変わったやつだった。
まぁ、俺に言われたかねぇか。
長い付き合いになる。

そして、この舞台の客席に野木萌葱がいた。

終演後、声をかけられた。
芝居に出てほしいという内容。

俺でよかとですか?

...びっくらこいた。
東京ゆーとこは、こげん簡単に芝居が出来ると?

決して、悪い意味ではない。それだけ、演劇と世間が身近に思えたのだ。

さすが東京。
変り者の街。

断る理由はどこにもない。すごく嬉しかったことを覚えている。

この出会いで今がある。

 「三億円事件」
作・演出 野木萌葱
下北沢東演パラータにて。
ここで、植村宏司と出会う。
共演者として。
この時、彼は19歳。
若い。いい声。器用な子。そんな印象を抱いた気がする。
長い付き合いだね。

今、机を挟んで目の前にいる。



5・東京乾電池。

この年の春にオーディションを受け研究生に。
第16期生。

ここで、学んだことの答えを未だに探している。

答えはないのだろう。

だけどずっと探すのだろう。




6・日本大学芸術学部。

江古田。
お世話になった方々にはここの出身者が多く、稽古などはこの付近で行うことが、多かった。
そんな中、出演した劇団の中に居たのが、井内勇希。
この頃から、あの感じ。
どの感じ?
だから、この感じ。

人懐っこくて、友達多い感じ。

うん。大事なもの。
ちゃんと持ってる。



7・この時、若気の至りで自分たちで劇団なんてのもやった。

その名も、「東京2」
演出は、十枝大介。
出演者には、野木萌葱もいた。
なんだろな。
なんでもねーよ。
てな具合の劇団でした。

楽しかったな。
またやりたいな...。



8・再び、パラドックス定数にお声をかけて頂いたのが、

 「大正八年・永田町」
作・演出 野木萌葱
 王子小劇場にて。
鉄道だったり、国会議事堂だったりとてんこ盛りな作品。
ここで、出会ったのが
 小野ゆたか。
出会ったといっても以前から存在は知っていたのだが、共演するのは初めてだし、会話するのも、これが初めて。
尖ってるやつだったなぁ。それを考えると随分、大人になってる。
今じゃ、頼れるリーダー。
大事な存在です。



9・この頃、今に比べると年に芝居をうつ本数は非常に少なかった。

芝居を考えると考えすぎの虫がよく現れた。
すぎると良くない。
不安になる。
そして、一足がでずに、やがて閉じる。

そんな時期があった。
頭でっかちの臆病者。
理屈をこねるのが趣味。

嫌だね。


10・そんなこんなで、役者と呼べるほどの価値もない人間に、一枚の手紙が届く。
nisihara2.jpg「劇団員になってください。」
その一行のみ。

送り主は、野木萌葱。

...びっくらこいた。

なんで?どしたの?
すっかり東京に馴染み、方言はでない。

後に聞くと、なんか、色々あって劇団にするとの事。色々...。
まぁ、その...色々だ。

考える。考える。考える。すぎるの前に、跳んだ。

集まったのは五人。
どれも知ってる顔。
知ってるようで知らない顔。
どうなんのだろ。

なるようになるのだろう。
この場をかりて言わせて頂く。
野木さん、ありがとう。







11・暗い階段の先には扉があり、それがゆっくり開くとお盆を持った野木萌葱が僕らの横を軽く会釈をして通り過ぎる。

深呼吸。

振り返ると、井内勇希、植村宏治、十枝大介、小野ゆたかの順に並んでいる。

よろしくお願いします。


出番です。

明かりのある方へと、ゆっくり歩きだした。

向かった先にはテーブルひとつに、椅子五脚。
テーブルの上には水差しとグラスが五つ。

開廷いたします。

    「東京裁判」
 作・演出 野木萌葱
   pit北区域にて。

nisihara3.jpgこの芝居を皮切りに、
年三本の公演を三年やっております。

有難いことです。
とても。

そして、今回の二人芝居。
ご来場お待ちしております。


    西原誠吾










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 西原誠吾

俳優 1979年生まれ。福岡県出身。劇団東京乾電池研究生を経て、劇団東京2に所属。
パラドックス定数にも定期的に出演。2007年6月、劇団化を受けて劇団員として所属。

写真写りはやんちゃだが、実は心優しい紳士である。
ラフな服装の細かなところまで気を配る、粋とユーモアを解する九州男児。
他の所属俳優が軒並みSサイズなことも手伝ってか、彼に「漢の色香」が求められることもあるようだ。
別名 蒟蒻二郎 西原画伯。



コメント(3)

西原さんは色気のある俳優さんですよね。
冷たい芝居も、熱のこもった芝居も、ちょっと引いた姿勢のものも。
特にサディスティックな役は本当に艶っぽいと思います。

蒟蒻二郎も気になるところですが。
とりあえず今日の芝居を楽しみにしております。

くさんへ コメントありがとうございました。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
感謝。

昔は口を開けば同じことばかり言ってたな。「どうして野木が俺を呼んだのかわからない」。今はどうだ。今でもわからないか。どっちだって構わないぜ。わかろうがわかるまいが、私はそんなこと気にしちゃあいないからね。じゃあ、おやすみ。良い夢を。